後期流産の記録④ 火葬

子宮内胎児死亡にて後期流産したときの記録です。

誘発分娩にて、普通の分娩と同じように陣痛に苦しみながら亡くなっている我が子を外の世界に送り出しました。

 

記録① ↓

後期流産の記録① 子宮内胎児死亡の発覚〜入院準備 - よりみち・まわりみち

記録② ↓

後期流産の記録② 誘発分娩当日 - よりみち・まわりみち

記録③ ↓

 後期流産の記録③ 眠れない夜〜退院 - よりみち・まわりみち

 

 

 2016/7/31

 

7月最終日、手続きをしていた火葬場に、最後のお別れをしに行ってきました。

前の日も早い時間に寝付けなかったため、

少し寝不足の状態で向かいました。

 

一緒に火葬するものとして

新婚旅行先のニューカレドニアで拾った貝殻と

ひまわりなどの夏っぽくて明るい小さめのお花をいくつか用意しました。

 

 

旦那の両親と一緒に、そわそわした気持ちで葬儀場に到着し

控え室に通されましたが、

すぐに準備が整ったとのことで、心の準備をする暇もなく案内されました。

 

 

我が子は小さい木箱に寝かせてもらっていて、

丁寧に布団までかけてもらっていました。

ひとつずつ、お花と貝殻をきれいに入れていき、

お焼香をあげました。

涙が溢れて止まらなくて、旦那の胸で泣きました。

 

感情がぐちゃぐちゃになってしまったのですが、

「わたしたちのところに来てくれてありがとう」

という気持ちだけ、伝えました。

 

 

 

その後は控え室に戻り、30〜40分程話していると、

終わったとのことで呼ばれました。

葬儀場の方が、

「これだけ小さいと、骨が残ることはなかなかないのですが、きれいに残っていますよ」

と言いながら、火葬後の姿を見せてくれました。

「本当だ。よかったなあ…」

と思いながら、小さな骨壷に骨を拾い入れ、その場を去りました。

 

 

 

帰ってから旦那と話していてびっくりしたのが、

今後、残った骨をどうするか、という考えが変わっていたことです。

 

当初は、思い出の地などに撒こう、ということで意見が一致していたのですが、

(次に進むためにも、区切りをつけたいという考えから)

火葬が終わったあとには、

少しの間、家に置いておいて御守り代わりにしたい。

そして良き時にお墓に入れてあげたい、

と思うようになっていたことです。

 

何でなのか、よくわからないですが

火葬を初めてこの目で見て、価値観が変わったのだと思います。

旦那と意見が一致していたのにもびっくりしましたが…

 

 

そして全てが終わり家に着いた後、

ふたりで泣いて、

終わって安心したからか、深い眠りに落ちました。

悲しいけれど、すごくほっとした瞬間でした。

 

 

 

目覚めてからふと、思ったことは…

わたしは生まれてから今まで家族を亡くしたことがありませんでしたが、

まさか、自分の子供を一番最初に亡くすとは、

夢にも思っていませんでした。

何が起こるかわからないなあ、人生は…と思いました。

 

実際のところ、初期の流産は結構聞く話で、

もちろん直面すると悲しいとは思いますが、

死亡届を出す必要も、火葬をする必要もありませんよね。

何だかね、手続き上の話ではありますが、

死亡届を出すことや、火葬することが、とても自分には堪えたんだと思います。

人として生きていたんだ、と実感してしまったというか。。

 

 

 

その日、偶然ですが夕方に大雨が降って、

雨上がりの空に虹が出ていました。

あの虹の橋を渡って行ったんだね、なんてふたりで話しながら写真に残しました。