後期流産の記録① 子宮内胎児死亡の発覚〜入院準備
2016/7/29 17:55
梅雨明けしてとても天気の良い日に
14wで子宮内で亡くなっていた我が子を誘発分娩しました。
順調に育っていれば、17wというところでした。
一生、忘れない出来事となりました。
たくさんのうれしい出来事と、たったひとつの悲しい出来事。
その記録を残したい。。。。。
2016/7/28
たくさん吐いて辛かったつわりが終わり始めた17w
特に大量出血などの予兆もなく、
しかし検診を4日後に控えた日に、下腹部痛が続くのが気になって救急で受診した際に発覚しました。
「大きくなってないね。心臓も、動いてないね。」
心配性なわたしは「ちゃんと育っているだろうか」という心配はありましたが、
本当に、こんなことが起こるのか、と
ふわふわして実感できずにいました。
「前回の検診のときに、お腹が膨らんでいるのが気になってはいたんだけど、やはりそれが原因かもしれないが、はっきりとはわからない。」
「ここまで育ってこの時期に、というのはなかなかないことなんだけどね。」
「前回の検診からほとんど大きくなってないから、13〜14wくらいかな。」
「赤ちゃんが結構大きくなっているので、掻き出すのは危険。陣痛を起こして普通のお産と同じように出すからね。」
「仕事は、いつ都合がつけられる?」
先生が話している間、冷静であるよう努めながら、話を静かに聞いていました。
「…早い方が良いですよね?」
「早い方が良いね。明日とか、都合つけられるかな?」
早いに越したことない。
急な話だけど、明日にしてもらおう。
と思い、翌日入院することにました。
「ラミナリアというもので子宮口を広げて、プレグランディンという膣坐薬で陣痛を起こして分娩するからね。1日で終わるように、朝一から始めよう。」
「14wだと死亡届を出して、火葬しないといけないからね。」
と、先生が最後にボソッと言っていましたが、
ふわふわしていて、あんまりきちんと話を聞けていませんでした。
先生と助産師さんからの説明が終わると、入院案内の部屋に行くよう指示されました。
誰かと話したい、話したい、、
けど、手続きなど全部済ませてからにしよう。
しっかりしないと。
と自分に言い聞かせていました。
それから、入院の説明などあり、ちゃんと聞こうと努力しましたが、あまり頭に入らず。
必要な部分だけサインを済ませて、会計を終わらせて院内のベンチに座りました。
「旦那はまだ仕事中かあ…」
誰かに言わないと消化しきれず、母親に電話しました。
「残念ながら、赤ちゃん亡くなってたみたい。明日手術を受けることにしたよ。」
「普通の分娩みたいに痛いんだって。痛いの嫌だよ。。」
「そうなんだ。。残念だったけど、次はその赤ちゃんが守ってくれるよ。」
なんていう会話をして、電話を切りました。
なんだかずっとふわふわする。。。
とりあえず一人でいたくないなあ。
一人で家に帰るなんて無理だなあ。
と、タクシーで家に帰らず、最寄駅まで向かいました。
その道中、旦那にメール。
仕事が終わるのを駅で待つことに。
数十分、職場の上司にしばらく休む旨のメールを書きつつ待っていると、
仕事終わりの旦那が急いで駆けつけてくれました。
目が合った途端、堪えていた涙が出てきてしまい、
普段外でベタベタするのを嫌う旦那が、
人目を気にせず、人の多い駅で抱きしめてくれました。
「悲しい。悲しい、けど、前向きに考えないと、ね。」
と、一言発すると、
旦那は少し安心した表情を浮かべました。
(後で聞いた話、わたしがどうしようもなく落ち込んでいるだろうと思っていたので、前向きに、という発言が出て安心したようです。)
それから二人で入院に必要なものを購入し、帰宅しました。
帰宅してからも、書類の記入や手続きの確認など、やることがたくさんあり、
二人とも疲れ切っていましたが、
お互いに明日を乗り切ろう、がんばろう、と励まし合い、
手を繋いで眠りにつきました。
その夜、旦那は
「しっかりと支えないと。俺がしっかりしないと。」
と夢の中で考えていて、とても眠りが浅く、寝た気がしなかったようです。