後期流産の記録② 誘発分娩当日

子宮内胎児死亡にて後期流産したときの記録です。

誘発分娩にて、普通の分娩と同じように陣痛に苦しみながら亡くなっている我が子を外の世界に送り出しました。

 

記録① ↓

後期流産の記録① 子宮内胎児死亡の発覚〜入院準備 - よりみち・まわりみち

 

 

2016/7/29

誘発分娩の当日。。。

この日は本当に長い1日でした。

 

あっという間に入院当日の朝。

バタバタと準備を済ませ、タクシーに乗って病院へ。

わたしの両親も駆けつけてくれたため、病院で合流しました。

 

「痩せたね〜」

と母親驚いていました。

つわり中に筋肉が落ちてしまったので、確かに足も腕も細くなったような…

 

そして、一息つく暇もなく、産婦人科外来へ行き、

8:30頃にラミナリア処置を受けました。

聞いていた感じ、6本くらい入れたようです。

前日にブログなどで体験談を読んで、ラミナリアがとんでもなく痛かったという方が多かったので覚悟していましたが、

わたしはそこまで痛くありませんでした。

そして入院する部屋でいろいろと説明を受けつつ、みんなで他愛もない話をしながら過ごしていました。

 

特に痛みがひどくなることもなく、生理痛くらいの弱い痛みのまま、

お昼を迎えました。

ごはんを食べて少しすると、先生がいらっしゃって、次の処置をすることに。

12:30 ラミナリアを20本に増やし、バルーンを入れました。

たぶん、このときはまだ膣坐薬のプレグランディンは使っておらず、

子宮口が開き自然に出てくることを狙っていたようです。

午前中よりは痛みが少し増しましたが、まだ顔を歪めるほどの痛みではなかったです。

 

15:00 また処置室に呼ばれ、子宮口がやはりなかなか開いていないことを確認すると、

プレグランディンを処置されました。

ここから一時間は陣痛のような波のある痛みではなく、ずっとすごく痛い!という状態で、

「常に痛いよー」と漏らしていました。

そして16時頃からは1〜2分おきに陣痛のような痛みがやってきて、

わたしが好きな音楽を流してもらい、気を紛らわせながら耐えていました。

しかし、かなり痛みが強くなってきたのでナースコールをすると、

助産師さんが来てくださり、

膣の中に指を入れて確認してくださったのですが、

これが激痛で、「あぁぁー!痛い痛い痛いー!!!」と大声を上げてしまいました。

わたしが痛がっている様子に我慢できなかった母が病室から出て行ったと

旦那から聞きました。

 

「きっとお母さんも辛いよなあ…きっと泣いたんだろうなあ…」

と、痛いながらに悲しく感じていました。

 

助産師さんが指を入れたことで痛みが増強し、

そこからは本当に話す余裕もなく、ずっと痛がっていました。

その様子を見て、再び処置室に移動することに。

たぶん17時20分頃だったと思います。

バルーンとラミナリアをゆっくりと外していくと、

「あっ!出てきちゃう!」

という声が聞こえました。

子宮口はあまり開いていなかったようですが、胎児は小さかったので順調に降りてきていたようです。

胎盤も一緒に出さないと危険とのことで、内容物を押し込むような形で車椅子に乗せられ、

ついに分娩台に移動することに。

胎児が少し出てきている状態になると痛みはかなり弱まっていて、

だいぶ余裕が出てきていました。

最後、分娩室に入る前に、旦那に「行ってきます」のアイコンタクトを送り、分娩台に向かいました。

 

そこからはあっという間の出来事でした。

子宮収縮剤を追加で注射されると、

17:55 するっと胎児と胎盤が出てきて、無事、分娩となりました。

分娩台の上で、「ひとまず無事に終わってよかった」とほっとしました。

 

「んー、たぶん男の子、ですね」

という言葉が聞こえてきて、予想通りだったなあ、と、ぼーっとしていました。

 

「赤ちゃんに会いますか?」

14wで命を絶った我が子の姿をしっかり目に焼き付けました。

 

エコーで子宮内の残留物の確認もしていただき、掻爬する必要なしと判断されたため、

一通りの処置も終わり、旦那も分娩室に入ってきました。

 

「がんばったね。おつかれさま。大好きだよ。」

と声をかけてくれて、わたしは少し涙していました。

 

その後、旦那と両親にも赤ちゃんの姿を見てもらい、

少しの間、余韻に浸っていました。

 

こうして、とても長く濃い1日が終わりました。