後期流産の記録③ 眠れない夜〜退院

子宮内胎児死亡にて後期流産したときの記録です。

誘発分娩にて、普通の分娩と同じように陣痛に苦しみながら亡くなっている我が子を外の世界に送り出しました。

 

記録① ↓

後期流産の記録① 子宮内胎児死亡の発覚〜入院準備 - よりみち・まわりみち

記録② ↓

後期流産の記録② 誘発分娩当日 - よりみち・まわりみち

 

 

長い長い1日を戦い終えて、分娩台の上から個室に移動しました。

移動する途中、他の部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、

無事に産まれてよかったね…と心の中で思っていました。

 

両親はホテルに帰っていて、旦那と二人になって一息ついていると、

すぐに火葬場の方が来ました。

病院で提携している火葬場を手配してくださっていたので、

こちらから連絡することなく、簡単に手続きできました。

必要書類は旦那が記入してくれたため、その間わたしは疲れ切って眠気と戦っていました。

 

「最後に、赤ちゃんと写真撮られますか?」

と聞かれましたが、写真は撮らずに目に焼き付けようと旦那と決めていました。

 

そして、赤ちゃんはそのまま火葬場の方に連れられて行きました。

 

「終わったねー…」

と二人でぐったり。。。

旦那もいろいろ気を使ってくれていたのでとても疲れているようでした。

 

このとき既に20時半頃だったため、病院の晩ごはんを温め直して出してもらいました。

二人でつまみながら、

「無事終わって安心したね。。。」

などと話していました。

21時になり、外からは花火の音が聞こえてきて…

あー、みんなは普通の1日を過ごしていたんだよなあ…

と、急に日常に戻された気分になりました。

 

 

その後、子宮を収縮させるお薬をいただいたのですが、

注意書きに「妊娠している方は飲まないでください」と書いてあり、

少し寂しい気持ちになりながら服用しました。。

 

晩ごはんも食べ終わって落ち着いたところで、

旦那とハグしながら一緒に泣きました。

悲しいね、悲しいけど…本当に無事に終わってよかったね…

なんて話しながら。

旦那が泣いているのはとても久しぶりに見ました。

 

 

その後、旦那は極度に疲れていたので、付き添い用のベッドで就寝。

寝る前には

「寝れなかったらいつでも起こしてね。」

と言ってくれました。

わたしはアドレナリンが出ている上に、お腹が痛かったので眠れず…

テレビを見ながら過ごしていました。

最初はボケーっとしていましたが、やっぱり寂しくてたまらなくて、

日付が変わる頃に旦那を起こして泣きつきました。

 

「これから、職場とか友達に報告するの嫌だよー」

と言いながら、泣いていました。

病室にこもっているときは、社会に戻っていくことに恐怖を感じていました。

 

旦那は

「思っているより身体は疲れていると思うから、まずは身体を休めよう。そしたら心も少しずつ元気になってくるから。」

と言いながら、わたしを寝かしつけてくれ、

やっと就寝できました。

 

しかし、3時半頃に胃痛で目が覚めてしまい、

巡回してきた助産師さんに発見され、

胃薬を処方してもらいましたが、そのまま朝まで眠れませんでした。

今でも、あの胃痛は何だったのかよくわかりませんが…

疲労とストレスかもしれません。。

 

 

そして、朝はウトウトしながら両親を迎え、

診察を受けて退院OKの許可が出たため、予定通り一泊で退院となりました。

事前にブログで同じような処置を受けた方の記録を読んで、

何日もかかるような方もいるというのを知っていたので、

一泊で済んで本当によかったなあと思いながら帰宅しました。

 

 

その日は、旦那は昼寝をしていましたが、

わたしはまだ腹痛と落ち着かないのとで眠れずでした。

翌日に火葬を控えていたので、夜も5〜6時間しか眠れず、朝を迎えました。