後期流産後の出産

後期流産から1年3ヶ月、無事に男の子を出産しました。

そのときの記録と心境について覚え書きです。

 

 

2017.10.18

おしるし(薄い赤)

 

2017.10.19

一日中眠くて寝続ける(今思えば前兆だったのかもしれません)

 

2017.10.20

日中は珍しく昼寝なしでたくさん外出しました。

そして夜中、猛烈な台風の接近と同時に弱い陣痛スタート

何分間隔なのか気になって気になって、しかもまぁまぁの痛みだったので、

うとうとと浅い眠りのまま朝を迎えました。

間隔は7分くらいで結構等間隔で来ているときもあれば、

遠のくときもあり、、まだ病院に行く感じではないなと思っていました。

 

2017.10.21

日中もずっと痛いな〜という感じで過ぎてゆく…でも何か我慢できる…(もやもや)

「前駆陣痛」についてひたすら検索し続けました。

なかなか本格化しない陣痛に焦らされて、そこまで痛くなかったですが精神的に疲れました。

おしるしも増えたけど、痛い間も料理できるくらいの痛みだし…病院はまだかなという感じ。。

里帰りですが旦那の立会い希望だったので、陣痛が本格化したら早めに来てもらわないといけないため、

旦那にもいつ来てもらうべきか悩んでいました。(ちょうど台風も来ていたので。。)

 

そして夜は前夜よりも強い痛みになり、お腹だけでなく腰も痛くなってきました。

間隔を測りつつ、一睡もしないまま朝を迎えました。

 

2017.10.22

「耐えれる痛みだし、大げさかもしれないけど一応病院に行こう」

と決意し、朝8時に病院へ。

弱い痛みでしたが5分間隔だったので、分娩室に通されました。

「陣痛ってこんな弱い痛みではないはずだけど、、どうなってるんだろうわたしの身体…」と不安でいっぱい。

モニタを付けられて1時間ほど横になっていましたが、

緊張したからか陣痛が遠のき、まだまだという判断で一度帰されました。

 

帰宅して旦那に電話でまだかかる旨を連絡。

朝病院に付き添ってくれた母親は、用事があるため急いで出かけて行きました。

「まだだったかー残念」という気持ちと共に、睡眠不足で疲れていたため休もう〜と布団に横たわった瞬間、

ポンッ という音とともに破水しました。

「これ絶対破水だ」

と確信できるものでした。

 

近くにあったタオルを股に挟んでトイレで夜用のナプキンを装着。

旦那に「破水したから絶対に入院になるから来て!」と連絡。

父親に病院に送ってもらう途中に母親に電話で破水したことを伝えると、

つい1〜2時間前にはまだまだだと言われていたのでとても驚いていました。

わたしも驚きましたが、破水したときは冷静だったので、

旦那と父母と「帰されたばかりなのにね〜」と笑って話していました。

本当に出産っていつ何があるかわからないなと思います。。

 

こうしてお昼近くに再び病院へ行き、入院することになりました。

このときは、破水したから陣痛が来るぞ〜!と思っていたのですが、

ここからも長い戦いが続きます。

 

午後も今までと同じく陣痛っぽいものがきたり遠のいたり。

微弱陣痛というものだったのでしょうか。

本当にもやもやしました。

日付が変わる前に産めるかも、なんて少し思っていましたが、

夜には面会終了時刻となり、駆けつけた旦那も帰されました。

 

「破水したら早く産まないといけないんじゃないの!?」と少し焦り始めるわたし。

しかも痛いときは結構痛い!眠れない!

助産師さんに「陣痛が辛かったら旦那さん呼ぶこともできるから」と言われるも、外は台風で暴風雨なので旦那を呼びつけるのも悪いし、

一人で無言で耐えた方が楽だったので一人で夜を越す覚悟をして、前日から2夜連続の徹夜になりました。

「陣痛を進めなきゃ」と思うほど遠のく陣痛…

焦らされ続けて朝を迎えました。

 

2017.10.23

朝9時の内診で子宮口4cm!

結構痛いのに耐えたのにまだ4cmか…と思う一方、

先生は「順調に開いてきているよ」と一言。

そして「他の患者さんとの兼ね合いで、促進剤を使うか決めます」と言って去って行きました。

(後で聞いた話によると、台風が来たからか陣痛が来ている方が多かったようです。。)

促進剤…怖いような、でも早く産みたいような、という気持ちでまたしてももやもやしていました。

そして朝10時頃に促進剤の使用が決定し、書類にサイン。

促進剤投与の前に血液検査とレントゲン検査を行い、

ついに11時頃に分娩室で促進剤がスタートしました。

するとみるみるうちに痛みが増し、間隔は短くなります。

「痛い!痛いけど声を出してパニックになるともっときつい!」と思い、

声を出さずに堪えるわたし。

旦那と母親が付き添ってくれていましたが、痛がらないわたしに余裕を感じていたのか、

痛みのピーク時に話しかけられて、答えられるような状況じゃなく、

陣痛の合間に「痛いときに話しかけられても答えられないから!」と一度キレました(苦笑)

 

静かに陣痛は進み、12時頃にはいきみ逃しが必要なくらいになりました。

助産師さんもこんなにすぐお産が進むと思っていなかったようで、子宮口はこの間一度も確認してくれていませんでした)

旦那にお尻を押してもらいますが、足りない…!

「もっと押してー!!!」と言ってさらに押してもらいなんとか陣痛の波を乗り越える。。

でも、辛い、辛すぎる、無理、とナースコール。

「痛すぎます…」と一言言うと、助産師さんが駆けつけてくれ、

子宮口を確認してくれました。

 

「これは全開だわ、赤ちゃん出そうね」

助産師さんも早すぎる展開にびっくりしつつ、ベッドを分娩台の形にセットしていざ分娩となりました。

 13時頃、いきみ始めて5回ほどで頭が見えて、10回ほどでポーンと産まれてきてくれました。

いきむときは、「この子と一緒に家族で楽しく暮らしたいー!」という思いでいきみました。

産まれた瞬間、涙が出ました。

隣にいてくれた旦那も泣いていて、本当によかったなと思い、昨年見送った我が子のことも思い出しました。

 

分娩後、母親がとても嬉しそうに写真を撮ったりしている姿を見て、

孫を見せられて本当に良かったなと思いました。

 

母子手帳に書かれた分娩時間は5時間5分でしたが、

わたしとしてはその前に二日連続で陣痛に苦しんでいたので

なんだか納得がいかないような気がしましたが…

安産ということでとてもよかったです。

 

 ***

その後病室に戻り子宮収縮を促す薬を飲み始めましたが、

1年前の流産後にも悲しい気持ちで飲んでいたことを思い出しました。

その後も翌日から母子同室でしたが、

もちろん眠いし疲れているので体力的にはきつかったです。

でも、流産したことを思い出しては

「無事に出産できて、子供の顔を見ることができて、こうして一緒にいられて幸せだな」

とひとり涙していました。

嬉し涙でもあり、1年前にも無事に産んであげたかったという気持ちの涙でもあり、

喜怒哀楽の入り混じった涙でした。

 

退院後も初めての子育てで余裕なく過ごしていて、

正直、複雑な気持ちを消化しきれていないなと思います。

来月旦那が一ヶ月の育休を取得するので、

子供を親に預けて一度お墓参りに行きたいなと思っています。

子供がお出かけできるようになったら一緒に行きたいです。

そして時期を見て、いつかお兄ちゃんのことを話したいですね。

 

まずは旦那の育休中にゆっくり一度今の気持ちを話し合いたいな。